コラム「伸縮自在」
 第1回

 「倉管に入れてもらえて良かった」(その1)
  〜椅子があってラッキーだった〜


 このたび倉管に広報が出されると聞いて、おもしろそうだと思いペンを取り、いやワープロの前に向かいました。これから数回にわたって倉管について私の思っていること、昔の話などを書きたいと思います。

 まず初めは

「倉管に自分が入れる椅子があったなんてなんてラッキーなんだろう」。

中学生のときからオケでボントロを吹いてきた私ですが、大学を卒業してすぐは入れてもらえるオケが見つかりませんでした。百以上のアマチュアオケがある東京にいた私ですが、たいていどこのオケもトロンボーンはすでに人がいるか、もしくは選曲に支障を来すので団員は置かないかのどちらか。

 たまたまあるオケの団員募集の広告を見て応募したら、なんとオーディションの課題が「任意の協奏曲の第1楽章を演奏せよ」。普通の楽器の人からすれば当たり前で驚くこともないんですが、トロンボーンの場合はまず「曲がない」、そしてあっても「現代曲でわけわかんなくてチョー難しい」かバロック時代の曲で「アルトトロンボーンでなければだめ」。どうしてくれるのさという感じで、それでも吹けそうな曲を探していきましたが通りませんでした。もっともそのオケはある自治体が主催しているから公募するだけで、実際にはコネがないと入れてもらえなかったそうなのですが。

 そんなわけで地元の吹奏楽団で活動していました。4年ほど前(1993年)に岡山に赴任してきました。職場には専門家もいるので、この近辺には「岡響」「倉管」という立派なオケがあるということは聞いていたのですが、どうせどちらも入れてくれないだろうと思い、初めからあきらめていました。それが2年前の「チャイ5」の演奏会の案内を新聞で見て、まあ一度聞いてみようと思い立ち、飛び込みで演奏会に来てメンバー表を見ると、トロンボーンも入れてくれないことはなさそうだという感じ。そこで田辺さんにいきなり電話をして参加するようになったのでした。
 今でもどうして団員にしてもらえたのかとても不思議に感じているこのごろです。少なくとも宴会で暴れて除名処分にだけはならないようにしなくては。  (sobu)

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