コラム「伸縮自在」
 第13回
 
 1つ番号が飛んでいることについて,ちょっとお詫びを。実は第12回をずいぶん前に書いたのだが,少々問題がある内容だったので掲載を躊躇した。

久々に「1に来る人」

先日(2002年5月26日)我がオケは第28回の定期演奏会を行った。 ステキなソリストのおかげもあって,多くのお客様にお越しいただいた。 また指揮者にお招きした牧村邦彦先生は,お若い方であるにもかかわらず オケのドライブ,特に弦楽器を鳴らすことには非常に長けておられて,1曲目の 「ローマの謝肉祭」の勢い,「悲愴」の終楽章のtuttiなど,倉管の演奏に 新境地を開拓してくださったように思った。 ここで皆様に改めて御礼を申し上げたい。

さて今回述べたいのは,ずいぶん前に書いた格言

「1に来る人,2に金払う人,3,4がなくて5に上手い人」

についてである。

先般の演奏会も,ある部分では「良かった、良かった」であった。 反省点についてはここでは述べまい。 それより大事なのは,その次の練習である。

往々にして,アマチュアの演奏会はその盛り上がりと裏腹に,その後 活動がしぼんでしまうことが多い。それでよしとする団体もあるのだろうが, 私が思っているのは

アマチュアの真価は,大きな本番が終わった次の練習における出席率で問われる

ということである。なぜか? 話は簡単だ。我々音楽家は 自分たちの心にある音楽を演奏し,他人に聞いてもらいたいのだ。 その気持ちは本来常に変わらないものだと思う。

良く「プロ」「アマチュア」という区別をする人を見る。 前にも述べたように,本来その区別は曖昧であり,たとえばアメリカでは amateur というイメージはほとんどないそうだ。 あるのは full time か part time かという違いだけ。 単に良い音楽を他人に聞いてもらいたいのだ。 その上で良い音楽には「対価」が払われるべきだというのがアメリカの考え方。 ここでの「対価」には「金銭」だけでなく「賞賛」「名声」ということも含まれるが, いずれにせよそれらは「音楽を演奏する動機」とは本来別の次元のものだ。

まあ「プロ」として演奏をしている限り,本番の直後だろうが 何だろうが,ギャラがでるわけで,そのために練習に参加することは当然だから ここで言及するに値しない。 しかしそうでない「アマチュア」は,「次の本番まで時間があるし,まあいいや」 となってしまいがちである。 そんなことで良いのだろうか? 「アマチュア」の喜びは,練習をして良い音楽を作り上げることではないのか? そうだとすれば,本番の直前でも直後でも練習に参加するかどうかは同じ ではないのか?

手前味噌になって恐縮だが,今回の定期演奏会の直後のわがオケの状況をみて, 胸が張れる気がした。 これまでと比べて,わがオケが成長したような気がした。

 

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